私は山登りが好きだ。
といっても冬山や上級者の山へは行かない。
初級、初級よりの中級コースのちょっぴり長めのコースが好き。そして平らな尾根道が大好物。
インターネットやハイキング本などで知らないルートを探して新しいコースに出かけたりするとワクワク感と緊張感が倍増。
始めてのコースだけに事前調べや3Dマップで調べても行ってみないとコースの実感が沸かない。
だから情報が少なったり調べ不足だとこんなこともある。
平坦なしの上り下りコース。
おぅっ、行きは体力消耗し、下りは膝に負担。
やってくれるねぇ~。
尾根道コースだってたどり着くまでに上りはあるし、決して常になだらかというわけではない。
さらにコースによっては山頂まで車やロープウェイで向かい、コースは下り山頂に戻ってくる周回コースもある。
素直な私からは多々言葉が漏れる。
「これだけ下れば、あとで登る必要あるじゃん。」
「後、どんだけ登ればいいんだよ。」
「もう無理、もう・・・無理」
「膝がガクガクなんですけどぉ~。」
人生の友、ミーアはあまり文句を言わない。ただ私の文句に文句で返してくることはある。
「山の中、歩いているんだから平坦じゃないのはあたりまえでしょ。」
いわれりゃぁ、そうだね。
それでも自ら進んで山の中、来てるんだから。
仕事でも私の弱音発言はよく出てくる。
「こんなに調べられないよ。」
「もう目、痛いっす。」
「なんでこんなことしなくちゃいけないのぉ~。」
「やりたくないよぉ~、無理だよぉ~。」
そう、私は弱音吐き魔だ。
よく人は言う。
「彼、彼女は最後まで弱音を吐かない人だった。」
私をよく知る人はこういうだろう。
「彼女は人一倍、弱音を吐いた。だけどちゃんとやるべきことはやった。」
小さい頃から「弱音は吐くな」と学校で教わってきたけど、自分に素直な私は弱さを感じたらそれを言葉にする。
夏の猛暑には「熱い」というし、冬寒ければ「凍えて死にそう」という。
でも私はちゃんとやる。
弱音だけ吐いてやるべきことをやらないわけじゃない。
弱音を吐いたからと言って誰かの足を引っ張ることはしない。
とりあえず嫌で先延ばしにしたり、辛さに負けてやりたいことを諦める、はしない。
ただ弱さを感じた時に我慢したり、内面に留めておくではなくそれすらも表現したいわけだ。
そしてこう思うのだ。
「大変だけど頑張っている自分、いいねぇ~。」
弱音を吐くことで力に変えている。弱音を吐くことで現実に向き合う。
弱音を吐くことで自らを受け入れる。
その結果、得られる充実感もしっかりと堪能する。
山登りの時は私の弱音を耳にするミーアは大変かもしれないけど、彼は自ら辛さを言葉にしなくとも、私の弱音に自分の思いを乗せていると思う時がある。
たまに私が弱音を吐かずに彼から漏れる小さな言葉は同じことを指していることがあるからだ。
ちなみに弱音を吐きながらも歩が早いのは私だ。
私は弱音を吐いてもペース落とさず、ミーアは弱音は吐かなくとも自分のペースで止まり、ゆっくり上る。
私はそのスピードを尊重し、彼は私の弱音を聞いてくれる。
弱音は吐いてもいい。
スピードは遅くてもいい。
それで前進できるなら。
人には人の進み方がある。
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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