小学生になると鏡で自分の顔を見る機会が増えた。
意識的にはなく偶発的に。
トイレで手を洗ったり、友達と話していると不意に鏡の中の自分が目に入り、意識的に見てしまう。
保育園にいた時はトイレなんて一人か先生といっていたし、そんなこと考えた記憶もない。
通っていた保育園から同じ小学校に入学したのは私を含み二人だけだった。
ほとんどの子が学校近くのいくつかの幼稚園から来ていて、既に知り合いが多い状態。
男の子の友達一人しかいない私はどこか寂しかった。
ほとんどが新しいお友達、初めてみる顔ばかり。
物心つく前から一緒だった保育園の友達には感じなかった感情が沸く。
あっ、あの子かわいい。
おませな女の子はまだ子供ながらに女の子らしさやかわいらしさというものに敏感になり始めている。
だからか鏡に映る自分を見てこんなこと思うになった、というか自分に言い聞かせるようになった。
「この鏡に映っている顔は私にだけ見ている。みんなにはもっとかわいい姿に見えているはず。」
鏡を通して見えている私の顔は私にしか見えない幻覚であり、実際にはもっと私はかわいいはず。
何か呪いをかけられているのだと思い込んでいた。
今、思うとすごいよなぁ。
この年にして自分の顔を受け入れられず、自分を慰めていたんだ。
切ない幼少の私よ、抱きしめてあげたいよ。
まぁ極度の人見知りだったから、そんなことされたら必死に抵抗して逃げるだろうけどね
多分、小学2年くらいまでそう言い聞かせていた。でも何をきっかけにそれを止めたのかはわからない。
自分の見てくれは好きじゃない。
好きな部分もあるけど嫌いな部分が多い。
体は自分次第でコントロールできないけど素顔はそうはいかないことが虚しい。
だから10代、20代は顔のカバーとばかりに体形やしぐさ、化粧で頑張ってきた。
でも心が歪んでいるから、顔にもそれが出ちゃっていたと思う。
結婚して落ち着いた30代になってもまだまだ気にしていなよなぁ。
ただミーアと一緒になり安心できる場所を見つけて、顔にゆとりが出てきたように思う。
そして30代半ば過ぎに急に化粧していることが馬鹿馬鹿しくなってやめた。
すっぴんまっしぐらっ・・・。
40代になってようやく受け入れられてきたかな。
ウィークポイントと信じていた部分が実はそんなことないのかもと思える箇所も見つかった。
当然今でも気に入らない部分はあるけど、以前よりかは寛容に受け止められるようになった。
人生において重要とされる部分に変化が生まれたのかもしれない。
いい加減、愛着がわいてきたのかもしれない。
いろんな意味で疎さが生まれたのかもしれない。
それでもいいじゃない自分の顔、受け入れてあげると以前にも増してかわいく思えてくる。
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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