瞑想を始めてもう8年も経つ。
今では週に2・3回になったけど、ほんの数か月前までは時間があればそれこそ毎日1-2時間は行っていた。
瞑想中毒と言われてもしょうがなかったねぇ。
お陰でミーアは瞑想するということに興味がない。
「それだけ長い時間が必要なんでしょ。」
ついつい瞑想の世界に長居している私を見ているだけに、時間の無駄と思われてしまっている。
まぁそれも彼の自由。
彼は最初から解放されている部分が多く、見習う点多々あり。
しかし私にとっては貴重な時間であることに間違いはない。
自分の中の重いもの吐き出したいし、いつかはこの物質的社会よりも精神的社会に生きているほうが断然幸せだったら逃げるように行っていた時期もある。
瞑想を始めて、結構すぐに大きな転換を迎えたことも一因だろう。
最初は手探りだった瞑想、シータ波に到達しても維持できず数分で落ちてしまう状態。
でも繰り返し行うことで、ずっと維持できるようになり、自分の声と創造主(ゼロ状態)から聞こえる声の違いにも気づくようになり、本などで学んだいろんなテクニックも試せるようになった。
そしてそのテクニックについても深く知ることができた。
結果、カウンセリングを行えるまでに成長し、オリジナルな手法も確立した。
しかし石屋さんと閉めると同時に公ではこの仕事は終わりにした。
創造主からの次なるステップの導きがあったし、人が自立する手助けと始めたものの、やっぱりカウンセリングへの依存を生んでしまった結果もあったので、それを終わりにもしたかった。
私は私の瞑想を通し人に助言や変換、解放を行うよりも、自らを深く掘り下げ変換したり解放する方が断然好きだ。
自分で自分を知る。もっと深く、もっと深く・・・。
探求しているうちにいろんな様相が見え、新しい側面での思い込みが見つかる。
こんな場所にこんな状態で記憶が眠っていたなんて。
そして解放し、新しい自分を受け入れ、次なるステップへ移動する。
社会や経験を通して心の変化が見つかりやすくなる。それを元に掘り下げ、自己の思い込みへの気づきに繋がる。
以前は気を付けながら気づこうと意識していたけど次第に自動的に敏感になり、繊細に感情が動くようになった。
というよりも本当はこんなにも細かく自分の心って動いているんだと気づいた。
人の心の変動が社会という忙しい波の中でどれだけ無視され、流され、自分の中にため込む結果になっているということを改めて知った。
私は昨年4月までの5年間、大転機の中に埋もれていた。
事の変わりようにすっかり自分を見失い、敏感さは簡単な傷つきやすさになっていた。
変換を受け入れることで大きな錘が心にずっとあって、心から笑えず、ちょっとした問題が大きな問題となり心にのしかかってきた。
瞑想しても瞑想しても錘からあふれる思いは救いを断ち切り、何度も深みにはまる。
この時の私を見て「弱さに負けないで」とか「もっとポジティブに」とか声をかけたくなる人もいたと思う。
実際、自分がノリノリで無知だったころは同じことを言ったんだろうなぁ。
いろんなタイミングを経て、その時は乗り越えられた。
無駄な5年だと思っていたけど、それが大転機の大切な時期だったと今の私は理解している。
自分の細部を知って、ちゃんと解放することで純粋な自分に繋がり、理解し、克服できる受け入れと許しを持つことで世界はもっと生きやすくなるんだと思う。
社会の流れに身をまかせ、大切な自分を忘れさせようとしている世界の中に私達は生きているかもしれない。
でも自分のちょっとした観察と行動でより居心地の良い状態が心からも生活からも生まれてくるのかもしれないね。
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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