小さい頃から変な記憶があった。
記憶というか・・・・思いというか。
確信というか。
それは自分という存在について空虚と感じていたこと。
何もないっていうか、内側が空洞なのだ。
どうしてそう思ったのか、原因などは思いつかない。
ただそれを感じ、「無」になりたいという意識があった。
求めるものは「無」
「無」になりたい。
ただ私はそれを追い求めているのだ。
確か高校生1年くらいだったと思う。
Tシャツプレゼントか何かの応募で「自分とは」といテーマをハガキに書いて郵送することがあった。
多分、意味わからないだろうな・・・と思いながら書いたのは「空虚」そして「joke(ジョーク)」。
この頃、私にとってみれば生きることはジョークに感じられた。
なんだか友達に話した記憶がある。
「皆、輪廻転生して同じ空間に戻ってきて、配役変わってまた人生送るんでしょ。そんなのジョークじゃん。」
無知の知だし、よく人からとんがっていると言われて意味不明と思っていたが、こんな発言していたらそう思われるよね。
でも本当にそう思っていたんだから仕方がない。
今は違う考えかと問われればそれはわからない。
もしかしたら似たようなことを言いそうな気もする。
ただ今の私には死後どうなるのかを自分なりに理解していて、また「無」についても以前よりも明確になったと思う。
私がずっと思い描いてた「無」は宇宙に浮かぶ光輝くガスの群れ。
ブラックホールとの関連性もあり、すべてが止まり1つになった状態だった。
「無」になりたい。
そう頭に思うとそれが自然と形になって出てきた。
その後、瞑想にて自分の内側をさらに探求する楽しみを得てから自分の感情や記憶に触れ、それが意味するものを理解していった。
思い込みが多くすべて物事を消し去りたいと思っていた私が最初に到達した、「なりたかった無」とは自分を消し去ることだた。
そう、私は消え去りたかったのだ。
それに気づいたときに無情に泣けてきた。
愛する自分に対して消し去りたいと思っていたなんて。
それを意味知らずとも小学生の時から思っていたと思うとなんだかわびしいし、切ない自分。
しかしその後、さらに探求すると私の「無」になりたいはみんなと1つになりたい。
1つになって私という個性を皆の意識と1つにしたい。
「ゼロ」に戻りたいという思いだと気づいた。
自分を消し去るにしてもその理由に安心と幸福を覚えた。
事は常に紙一重。
有を通し無を知り、無があるからこそ有が成り立つ。
無に到達するために解脱を試みる仏教の教えを仏像の姿から読み取ることができる時がある。
「無」になりたいやら自分は「空虚」やら若き頃から何を考えていたのかと思うが、それは今世で得た経験というよりもっと昔から無意識に彫り込まれた記憶なんだと思う。
私は今も「空虚」な自分を第4チャクラに感じることがある。
善いとか悪いとかじゃない。
「空虚が有る」なんだ。
今世、限りある時間の中、五感と意識を通してもっともっと実感していきたい。
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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