10代の私は自分のコントロールが効かなかった。
というよりもコントロールするという気がなった。
何か自分に事が起きる。
いいことや悪いこと。
誰かに話したくってうずうずしてチャンスを待つ。
話せる相手、聞いてくれる友人・・・。
言いたいことは山ほどあって、突然それを発散したくなって無理やり話し始めたり・・・。
それか自分が話せるチャンスまで待ってタイミングと共に言葉の洪水が起きたり。
そんな時は興奮状態で話しまくる。
だからとにかく話して話して、わけがわからなくなって、伝えたいことはどんどん頭から離れていって、気づけば同じ言葉ばかり口にしていたりする。
また結果論がなくただの感情論を人にぶつけたり。
そんな時は中身がなくて、「だから何がいいたいの?」と相手を困惑させてしまう時がある。
自分の思いを知ってほしくて溢れてしまったんだけど、実は感情の高ぶりを伝えたいだけで中を開けば空虚ってことがある。
ストレス発散。
心が激しく動いたんだよね。
だからそれをつい人に知ってほしくって、自分を大切にしたくって。
ただその方法もいろいろと考えたほうがいい。
吐き出したほうは気持ちが良いかもしれないけど、吐き出されたほうはたまったもんじゃない。
繰り返し同じようなことを続けていれば相手に負担をかけるだけだし、それを行った自分に気づくと自分自身恥ずかしさを覚えることはある。
ついつい相手の思いを忘れちゃう。
相手がどう思っているか。
どう思って私と接してくれているのか。
見えているのは自分だけ。
気づけば自分さえよければいいという態度をしている。
自分の奔放をどうぞ受け入れてと、両手を広げてSOS。
人は誰かに全力で頼っていいものではない。
本当は自分もバランスの取れた状態で人と接したいし、やっぱりそういう人と関わりたいと思う。
自分の姿を鏡で見て、その自分が好きになられるか。
これは10代の頃、自分という本質について初めてしっかりと向き合った時、見出した方法。
自分という存在がもう一人いて、その人と友人になれるかと考えるんだ。
残念なことに最初、友人として自分という存在を客観的に見た時に「絶対こんな友達嫌だ。」って思ったもんね。
それから自分が友人になりたいと思う自分を目指した。
そうすればもし他人が自分のことを嫌いでも、自分という人間を自分は好きでいられるし、何より受け入れられるようになるんだよね。
そうかぁ、受け入れられるようになるんだぁ。
これって本当に難しくて、いろんなタイミングや精神状態で自分を責めちゃうときが今でもある。
自分を受け入れるなんて大それたことを10代の頃の私は考えていなかった。
でも形は違えどそれを求めていたんだね。
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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