心理学が好きだ。
深いものからちょいと友人から訪ねられた安易なものまで。
当たっていることもあるし、「そうかなぁ」と思うことがある。
一番印象に残っているのは確か18歳か19歳くらいに質問された内容だ。
「目の前に壁があります。それはどのくらいの高さですか?」
インスピレーションがすぐに沸き、壁の絵が見えた。
「見えないくらい高い。」
頭に浮かんだ想像は確証となり自信満々に答える。
結果・・・。
「それはプライドの高さです。」
どっひぇーーーーんっ。
恥ずいよ、それ恥ずい。
苦笑いで受け止められないほど私のプライドは高かった。
こんな簡単な質問を機に、人は自分を省みることになる。
確かに私はプライドが高かった。
なんでもみんなよりうまくできたい(勉強以外)し、知識も豊富でいたい(勉強嫌いなのに)。
自慢屋さんだったし、好奇心でいろんなこと試したい(と思いながらの内弁慶)。
人の悪口いうくせに、言われたら凹む。
思ってもいない場所を訂正されるとその想定外さにググっと落ち込み、とりあえず不機嫌になる。
すっごいティーンエージャーだなぁ。
だったな。
そしてそれを機に、自分のいらないプライドを削っていこうと思った。
私は哲学に出会った頃からソクラテスの「無知の知」が気に入っていた。
それをしっかりと自分に当てはめ、無知なくせに知ったかぶりをするのを止めようと思った。
専門学校ではありがたいことにホスピタリティの授業があった。
「ありがとう」と「ごめん」は言いたいときに言えないことが多いということを習った。
確かに私は謝るのが苦手だった。
当然、プライドの高さから。
だから謝るのということをまず練習した。
調子にすぐ乗る私はつい人を傷つけてしまう。
10代は謝らずに逆キレしたりしていたけど、それじゃぁ友達減るばかりだよね。
最初は口に出せない、言おうとすれば拒否反応が体に起きる。
硬直して、口も頭も動きが止まる。
それでも言ってみる。
小さな声でも・・・ごめんね。
プライドがズタっと傷つく。
でもその時、自分に言い聞かせる。
「これはいらないプライド。」
こうして少しずつ、自分が気づいたことから余計なプライドをっていった。
今同じ質問されてみよう。
「目の前に壁があります。それはどのくらいの高さですか?」
うーん、3mほどかな。
手が届きそうで届かない・・・・いやっ届かないだろう。
うーんまだ高いが必要なプライドもあるよね。
余談だか以前受けたスピリチュアルカウンセリングで「日本じゃないんだよね。海外なんだよね。」と何度も言われたことがあった。
10代の頃の私は自分のわがままや調子に乗ってみたりで、とりあえず口から出まかせやらなにやら言っていたことを後になって非常に恥じていた。
しかし今になって海外で人と過ごしているとそういう人の数が多いこと、多いこと。
大人でも多い、多い。
ミーアもニュージーランドに帰れば、とりあえずも出まかせがお口からよく滑る。
そしてみんなそれを聞いて、流す流す。
こりゃぁ日常茶飯事なんだなぁ。
私の調子の乗り方は欧米だったのかもしれない。
だから日本の常識ではハイテンションなプライド高き奴というポジションになってしまうのかも。
「日本じゃないんだよね。海外なんだよね。」
もし10代で欧米にわたっていたら(そのチャンスはあったのに寂しがり屋の私は断固拒否した)どんな私になっていたんだろう?
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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