小さい頃、両親は家の屋上で野菜を育てていた。
太陽を遮るものもなく、よく育つ植物たち。
ネギ、ピーマン、ししとう、きゅうり、ナス、そして大好きだったいちご。
採れたてというのはやっぱり嬉しい。
真っ赤に育ったイチゴ。
「それ食べていいよ。」と言われるのはとても嬉しかった。
屋上の農園はおいしい食材を得る他にも、子供にとって別の役割を果たしてくれていた。
その名も・・・・
残酷おままごと
保育園に通っていた時、いろんなことに興味があった。
良いとか悪いとかじゃなくて、感覚でやりたいことをする。
おままごとはいつもおもちゃ。
しかし屋上に行けばいろんな食材がある。
通年を通して育っているのがネギだ。
ネギは良く育つわりには減りが遅く、ネギ坊主になってしまうものが多い。
そんなネギ坊主は子供遊び道具として利用しても怒られることはなかった。
そしてもう1つとっても怒られないもの・・・害虫だ。
特にうちの屋上農園にはダンゴ虫と蟻が多かった。
幼虫もよくいたなぁ。
ダンゴ虫は簡単に捕まり捕まえると丸くなるのも面白い。
数匹捕まえる。
野菜を取るために用意されている錆びた包丁でネギ坊主をカット。
ネギの空洞にそのままダンゴ虫を入れればかわいいもの。
だいたいは胴体半分に切って、それをネギへイン。
上部を結んで、ハイっ出来があり。
ダンゴ虫入りネギ。
それをお父さんやお母さんの元へ持っていく。
ありがとうっと受け取ってくるも、食べてくれないことに悲しみを覚える。
「本当に食べてよ。」とせがむ。
聞き流す母に、困る父。
懐かしいなぁ~。
今、思えば本当残酷。
私が小さい頃、ヨコバイがよくいた。なぜだか発生すると大量発生となり、簡単に捕まえられる。
羽や足をむしる。まだ生きているか観察する。
小学生中学年までこの虫むしりは友人の間でよく行われていた。
私はうまくできなかったけど蜂にひもを付けて飛ばしている友達もいた。
到底、今の私ではただの悪夢の図にしか見えない遊びだ。
ある時、母と屋上に行った時のことだ。
「あっ、またここにいる。」
母は鉢代わりの発泡スチロールボックスを動かし、包丁で何かをかき回している。
興味津々で覗き込むと白くて小さなものがいっぱいにいる。
「これ何?」
「蟻の卵よ。もう本当に嫌になるわ。こうやって包丁でつついてくれる?」
「いいよ。」
母から錆びた包丁を渡され、同じように卵めがけてくるくる回す。
その時の私は正義の味方気分。
もうっ、うちのママを困らせて。
こうしてやるっ!
そして母は白い薬剤をそこに巻いた。
しかしその日の夜、夢で同じ映像が出てきた。
自分がやった行いを同じ視線から見ているのに、逆に自分が悪の支配者だった。
気持ちが悪い。
悪いことをやっている。
残酷な行いというのが体中に流れた。
この悪夢を通し、学びを得た。
その日以来、私は虫への虐待を止めた。
良い、悪いではなくもうやりたくないことへと変わった。
幼少の頃の虫への残酷行為が良いのかどうかはわからない。
だけどそれを持って私は「生命」っていうものに直に触れていたと思う。
そして生き物に対してやっていいこととやってはいけないことを学んでいたと思う。
今の子たちはどうやって生あるものの大切さを学ぶのだろう?
真実
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真実は「葛藤の解放と純粋な自己なる創造の現実化」をテーマに日々、生きている気ままな幸せ人です。 瞑想を通し、感じたこと、学んだこと日々の経験から感じたこと、学んだこと。 様々なことを様々な形で自分の変化と共に歩む真実なりの方法をご覧ください。
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